北杜市・自然の中で
山の中の独り暮らし、片目を失い福祉や医療機関、孤独死寸前までを綴る
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旅館さん ガンバッテ ! (2)
この文は私が書いたものではありません。許可をとり載せています。
連載物ですが、著者の仕事の関係上不定期の更新になります。

旅館さんガンバッテ!」で掲載予定の項目(順不同)

□ 「仲居・番頭の時代」へ職務分掌を戻す(特に小規模旅館の場合)
 細分化した係名の存在は結果的に人手が多く必要になる。担当以外の旅館業務がその人にとって「余計な仕事」になってしまう弊害もある。
 
□ どの部署のヘルプもできる「起動班」を創れ
 起動担当者は雑用係とは似て非なる優れ者。便利に使うわけだから地位と報酬をそれなりにしなければならない。「使えない人」をヘルプと称して送り込まれた部署は、かえって迷惑するもの。
 
□ 人の経済的余裕を借りる
 旅館の給与で、従業員に「満足な報酬感」は与えられないものと諦めよ。定年退職者、年金生活者などの手(人生経験と能力)を借りる。手を貸してもらうのであって、「使ってやる」という態度に出てはならない。
 
□ 労働市場で不遇を託つ人たちの受け皿になる
   高齢者・身体障害者・乳幼児を抱えた母親などを救うことは自らを救うこと。彼ら   に掛かる経費は「やる気」と利益に転化して返ってくる。

□ 「旅館勤め」の人間なんて、という「固陋」な考え方が人材を殺している
 味噌と糞を同視するような姿勢は旅館の「自殺行為」。馬鹿にしてくる経営者に尽くす従業員はいない。
 
□ 低コスト礼賛経営は旅館の「品格」や、働く者の「プライド」を奪う
 人事考課の欠けた旅館は優れた者から順に去って行き、「ごみ溜め化」する恐れがある。ハード面でも「顧客満足(CS)Customers Satisfaction」の最大の敵は低コスト妄信。従業員はサービスについて考える指針すら失う。
 
□ オーナーは「こういう旅館にしたい」と、常に直接従業員に語りかけるべき
 社員が諸々の場面で困ったときの判断基準がこれである。これをしていると、逐一指図する必要がなくなる。一方で「合わない」と考える社員は去る。去らずに反抗だけする社員は切ればよいことになる。
 
□ 厨房の構成も「こういう旅館にしたい」に合わせて創る
   安桁狙い・大量処理が経営方針なら創作料理の旗手を調理長にするのは宝の持ち腐れ。『最高のもてなしで』と決めているのにコストを考えて安い調理長を配するのもまた過り。調理人の数だけではなく、器から什器、仲居の質までが「方針」で決まる。方針と実配置の食い違いはお互いに「不幸」。

□ 調理人を競わせて採用するような気概を
「こういう旅館に」が明確なら、「目的・方針にあった調理人」は競わせて選ぶべき。

□ 「若者枠」という考え方
 「若い者はすぐ辞めてしまう」が常態なら、それを「善し」として若者を年齢枠として捉え、従業員の何パーセントと決め、その構成員個々の個性に執着しないと考える。他に夢があり目的がある若者は優れ者が多く、短期的な就労でも得がたい人材。本来なら望めない人材まで安価で使えるのがこの考え方。一つところで続かない者、長く続かない者は全て「悪」、として退けるのは結果的に大損といえる。
 
□ セラピスト・カウンセラーを創れ。それは有資格者や専門職ではなく素人の「優れた聞き役」でもよい
 しかしそれは、総務とか経営者側に立つ役職者ではいけない。従業員の「心の健康」なくして、心のこもった「接客サービス」は望めない。
 
□ 看護士の免許・経験のある人を置くことは優れたサービス
  高齢化社会になり、高齢者がこぞって積年の垢を落としに旅行に出掛ける。万一のとき、ある程度の処置が出来る人を確保しておくのは、むしろこの時代の旅館の「義務」。

□ 従業員を見詰めることは経営を見詰めること
経営者に温かく見詰められた従業員は、必ずお客様を温かく見詰めるようになる。

□ 目に見える人事考課であれば、「小さく」てもいい
 「10円でも高く払ってくれる会社に移る」、その考え方は果たして「悪」か。小額の昇給をするのは会社の「恥」か。1年に1万円給料を上げるなら毎月850円ずつ12ヶ月にわたって上げたほうがよい、という考え方もある。要は経営者が「どれだけ仕事ぶりを見ていてくれるか」だ。やってもやらなくても同じなら、余程の人間は別として、やる気はなくなる。その場合、そうしてしまったのは他でもない「会社」だ。

□ 創ったら大勢の人に観てもらいたいという、作り手の情熱をただで借りる
  絵画・書・生け花・オブジェ・坪庭にいたるまで。旅館はただ空間を提供するだけ。四季折々に変化していけば尚良い。大きな旅館では、一人専任を置いてもよいくらいの仕事だ。もっとも、自分の作品を飾りたいと思わせる旅館であることが前になるのだが。

□ 制服・名札の支給は旅館の格と経営姿勢の表われ
 「従業員への出費」ととらえれば「長く勤まると判ってから支給」という結論になる。しかし制服やネームプレートはお客様のためにある。たった1日しか使わないアルバイトにさえ支給する。それが「その旅館の品格」であり「顧客サービスの質」につながる。

□ 個性や能力で見ず「日給いくら」で従業員を見る「コスト主義」「欠員補充主義」の落とし穴
 募集職種の日給で応募者を見るから人材を採り損ねる。日給A円の人の補充として同額の人を雇えば支障なし、は誤り。人事考課を怠る旅館のコスト主義は、人材面で破綻する。
 
□ 去っていく者に対する「仕打ち」に気をつけよ
 「辞めて行く奴には何もしてやるな」は正しいか。去る者に対する会社の態度をその他の従業員が凝視している。会社は見られている。試されていることを忘れてはならない。

□ 従業員の個人的危機に対する会社の対応如何が、士気を高めたり、愛社精神を涵養したりする。もちろん、その反対もある
 労災事故・疾病・妊娠出産・負傷・離婚等々、法律上当然の配慮はしているか。働くものへの思いやりを示しているか。その効果は、また悪影響は、当の本人以外にも及んでいく。
 
□ 公的な保護・法上の権利を使って従業員の信頼を得る
 厚生年金保険、健康保険、雇用保険、労災保険などの保険給付は、保険という性質上「申請により」給付というものがほとんど、また社会政策的な給付の申請も同様。会社の負担・出費で従業員を護ってやらなくとも、また、そうできなくとも、知識と工夫で従業員を助けることが出来る。要は、そうしてやる気があるか無いかだ。
 
□ 会社は「切った」という。しかしもしかしたら会社が従業員に「切られた」のかも、という視点が大事
  採用したての従業員がすぐ辞めた。永年まじめに働いていた従業員が突然辞めた。そこから自社の「欠点」を探る努力が必要。辞めて行く従業員の資質・性格のせいにして非難するのは誰にでもできる。

□ 従業員食堂は旅館の素顔
  好待遇で優れた人を食堂の係りに。従業員の心と体の健康を護る姿勢が問われる。
 優秀な人材をわざわざスカウトした旅館経営者の見識に学ぶ。
 
□ 経費削減の要は心
  四六時中従業員を監視し怠けないようにと考えるのは愚か、かつ不可能。「あの女将さんのために」「あの社長のために」と想われる「心」をまず経営者から従業員に。人を削り、人的経費を惜しむだけではサービスは地に墜ちるだけ。労働の質と量で、経費の節減を実現してくれるのは「心」の働き。

□ 会社の恐さをまず知らしめよ
 悪い意味でしたたかな従業員、文句ばかりでろくに働かない従業員に対しては、処分する意思を明確に示せ。一罰百戒、他の従業員もピリッとする。恐れられる必要はないが、舐められてはならない。会社には統制が不可欠なのだ。

□ 「君たちフロントは司令塔」は本当か
   調理現場を知らない、各部屋に何枚布団を敷けるかを知らない、リネン類がどこに常備されているか知らない、各部署の勤務シフトの状態を知らない。これで何を指令できるのか。客室、調理、食堂などの「現場研修はフロント研修に先立つ」べき。

□ フロントには館内の陰の部署を経験させよ
   自分のミスで現場がどれほど混乱するかを目の当たりにする必要がある。「フロント」には、本来「前線」という意味があるのだ。

□ 女を仕切れるのは女
   男の上司が女性の部下を好評価すれば男女間の好き嫌いに摩り替えて他の女性従業員が批判。同様に仕事上で注意をし、叱責すれば、男女の好悪感情に摩り替えてふくれる当の女性。これでは女性の統制は女性(女将)がするしかない。男性の側の、現実に好悪の感情で差配を左右する可能性も、むろん否定できない。

□ 「非日常性」を「目玉」にすることもできる
 旅は或る意味で「日常性からの逃避」、であれば、普段体験できないことを提供するのが有効。全客室からテレビを撤去した旅館の勇断。
 
□ キャンプには自炊がつきもの、では「旅館に貸し厨房時代」は来るのか
  旅館の立地にもよる。自宅では叶えられない豪華な、あるいは広い厨房で腕を揮い、家族や知人に馳走する。料理教室、料理ショーも可能。

□ 現代の都会生活に無いものを探せ
 かつて日本の家庭でふつうに行われていた行事・催しを再現し、親子・夫婦・恋人などの間に「新しい話題」を提供する。雛祭り、花祭り、鯉幟、菖蒲湯、七夕、お盆の送り火・迎え火、花火、月見、ゆず湯、クリスマス、正月飾り、カルタとり・こま遊び、餅つき、七草粥、などなど。
 
□ 家庭から無くなりつつあるものはそのままでヒント
家族の対話、家族の雑魚寝、父親の存在感、手料理の味、共同作業、などなど。

□ 旅に出る障害を取り除くこと
  病人、身体障害者、要介護老人同伴も可という温泉旅館があってもいい。旅館が、介護士、看護士、保育士、カウンセラーなどを従業員にし、あるいはそれらの資格取得に投資する日は近いかも。この発想で実現したのは「ペット同伴可」だけか。

□ 昔の仲居が習っていたお稽古事は心のサービスに不可欠
 茶道、生け花、作法、着付けなどは、かつて仲居が花嫁修業を兼ねてやっていたこと。それは宿泊単価にもつながる「旅館の品格」にも直結する。遠回りが実は近道。
 
□ 「旅館業の常識」を疑え
「一泊二食が原則」はBB(Bed&Breakfast)が破り、「お一人様お断り」は観光不況が覆した。「女の一人旅は厳禁」も強くなった女性たちが昔話にした。食事の「朝のみ」「夕のみ」も産まれた。「午前十時チェックアウト」も「朝はゆっくり」サービスの登場で揺るぎだした。「ただいま浴場清掃時間」も「日帰り入浴」の台頭で柔軟性が出た。「素泊まり歓迎」は、キャンピングカーや大型乗用車の流行と旅行上手を背景に増えだした。「持ち込み禁止」もかつての力はない。もっとないか、かつての「常識」を破る「サービス」が。

□ あれもこれも、は全てを失う。「特化」こそが生き残る術
 高級旅館に節約型の旅行客は来ない。安宿にセレブは泊まらない。それは誰もが常識として知っている。ゆったりとしたい一般客と児童生徒の修学旅行の生徒、騒ぎたい若者と静寂をもとめる高齢者、量が必要な顧客と少量美味を期待の顧客、相反する顧客を求めてどっちつかずの旅館になっていないか。
 
□ 打ち水に篭められた「おもてなしの心」
 失ってはいないか「お金をかけないサービスの知恵」。館内の案内板を減らして従業員にお声を、と相対の接客サービスを企図した旅館の例。廊下の壁や床のデザインはお客様の利便より大事か。行き先を色分けしたラインで明示した市役所の例。
 
□ 庭の雑草を刈るだけで旅館の「格」は上がる
「お屋敷は庭から荒れる」、旅館も同じ。プロの庭師だけが手入れ担当者ではないはず。
  剪定が不可欠な部分は「元・庭師」の募集で工夫。
  
□ 頭でっかちの「法学部の学生」をモニターとして一週間ないし一ヶ月アルバイトさせよ
 彼らの要求や文句が、自社の「コンプライアンスの欠如具合」を教えてくれる。
 
□ 抜擢のタイミングこそ人事の要
   入社早々の抜擢は、その人材を殺すに等しい。いくら優れた人物でも「この旅館では一年生」であることを忘れてはならない。嫉妬や警戒心から他の従業員の援助・協力を得られなくなる。過去の華々しい経歴だけで「採用時に」将来の要職を約束するな。以後自分の頸を絞めることになる。「この旅館」という環境下で、どれだけ能力を発揮できるか、抜擢はそれを見極めてからでも遅くはない。
   ただし遅きに失すれば、館主の見る目を疑られ、人材に去られることになる。

□ 従業員を見下し蔑視している館主のために、身を粉にして働くものはいない
 旅館の使用者は知らず知らずのうちに「バカな従業員」「イエスマン」を好きになる傾向がある。そういう経営者は、能力の高い者、気骨のある者、意見を具申する者、経営批判をする者を遠ざけている自分に気付かない。気荒な駿馬を乗りこなしてこその経営者ではないのか。
 「何か一つ欠点を創れ」とはけだし名言である。旅館で無事生き抜くには不可欠と言われる理由はここにある。ばくち好き、女好き、浪費癖、酒乱、朝寝坊、大食漢などなど。何も無いものは早急に創り出せ?
「自分の旅館にあるものを探せ、無いものを探せ」は、旅館のセールスポイントに関してのみの視点ではない。人材に関してもしかりである。

□ 表を支えているのは裏、表を重視し、裏を軽視するのは誤りの始まり
   客室清掃、浴場清掃、機械設備管理、洗い場、内務など裏の仕事は誰でもできる。誰でもいいは本当か。少なくともそれらの指導者には優秀な人材を配さなければ、また、厚遇しなければ、よい旅館にはならない。

□ 「井戸掘り」より「池掘り」という基準で、便利な設備係を探せ
   資格・免許に騙されると、口ばかりで働かない高給取りを抱えることになる。
   電気や水道などの職人は「井戸掘り」、その部門では深く掘れるが、その他は全くだめという人がいる。そうなら、 そのつど必要に応じて専門業者に外注すれば足りる 。旅館に必要なのは、どの程度のトラブルから業者を必要とするか、を見極めることが出来る幅広い知識と経験である。

□ 人が頻繁に動く、また変わらざるを得ない部署にはマニュアルを置け
   一定レベルの質の担保には不可欠のマニュアル。こういう旅館にしたいという館主のリネンはここでも生かしたい。マニュアルが個性や改善を「殺す」恐れにも注意。

□ 昇進が無理なら「昇心」、昇給が無理なら「昇求」
   従業員は給与の多寡だけで動くのではない。仕事の効果や、自分の進歩の確認ができることも重要な要素。

□ 女同士は人間関係が難しく、それだけですぐに辞める場合がある
 ここでも「女を仕切れるのは女」。
 
□ 自分の家より汚い場所に金を払う愚者はいない。怒りに転化する。
   雨漏り、破れ障子、建付けの悪い襖、開かない窓、低劣な書画、誇りまみれの照明器具などなど。

□ 無くなった休館日、しなくなった大掃除、それは旅館業の後退。「掃除しようよ」と嘆く顧客
   毎日お客を取っていては不可能な掃除がある。消毒作業がある。大掃除や定期整備をネットにうたうことは、かえって「きちんとした旅館の証明」にもなる。メンテナンス契約には高所作業は入っていないのが普通。定期清掃も費用面でおざなりに。これでは信頼を失う。早めの告知・対応でネットのエージェントも困らないはず。

□ 「まわっている」という考え方の落とし穴
   宿泊者を、質はともかく有料で翌朝帰せればいい、という考え方が旅館を駄目にする。いろいろな矛盾・無理・負担・質の低下を感じながらでも、カレンダーさえめくれればOKなのか。そこには企業としての「旅館」の理念も戦略もない。

□ 自分たちで「劇場」を創っての接客
   蒲郡の例。それは労使一体となっての、体当たりの「創作」だった。
   熱川の例。連日連夜の無料和太鼓ショーは本当に「営業の邪魔」だったのか。

□ 従業員満足(ES: Employee Satisfaction)のないところに顧客満足(CS: Customers
Satisfaction)は無い
 業務に対する意欲とか生産性の向上とか、経費削減とかサービスの向上とか、これらは、かかって会社に対する従業員の満足度如何にかかっている。なぜならば、いかなる経営戦略も、従業員の積極的な理解と賛同がなければ、実現は望めず、経営者の、ただの「掛け声」に終るからだ。

□ TQC(Total Quality Control)運動は、「ほうれんそう」の無い旅館の「特効薬」か
サービス業にも「品質管理」はある、という発想で生まれたTQC。それを旅館業でやってみるのは、むしろ正しい。報告・連絡・相談という「ほうれんそう」が一番欠けているのが旅館だからだ。TQC活動の中にはホウレンソウが詰まっている。

□ 旅館の労働組合が旅館経営を立て直した、は本当か
   団結し、法的な「権利」を獲得し主張した労働組合が、その後で行ったことは、「権利の濫用ではなく、顧客サービスの全うを図るという「義務の履行」だった。

□ 人減らしが一線を越えてしまったら、残る従業員全員を完全月給の正社員にせよ
これ以上の「人減らし」は、旅館の存立すら危うくする。そういうラインを超えてしまったら、また、超えざるを得なくなったら、経営者が為すべきことは、残ってくれている「家族」のような社員の「命」と将来の生活の安定を図ることだ。一見逆のようにも見えるこの切り口が、会社を救う。


原文はこちらのホームページに載っています。蛙声庵

連載物はブログでは整理できませんのでホームページにまとめています。


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旅館さん ガンバッテ ! (1)
この文は馬場 駿(ペンネーム)が書きました。許可をとり載せています。
連載物ですが、著者の仕事の関係上不定期の更新になります。また、本文についてのコメントは鬼家にはできません。
一般のコメントは受け付けています。


旅館さん ガンバッテ !

そもそもが本にしようとして企画したものなので、HPでの連載はある意味で「代替措置」になる。
構想の中心、大きな活字の本文に、小ポイントの法的根拠・用語等の解説を付けようとすれば、まだまだ長い時間がかかる。
さりとて、裏付けや具体的な肉付けがなされていなければ、「門外漢のたわごと」に堕してしまうだろう。
そこで一計を案じた。後者は上梓する際に付するとしてとりあえず、本文を連載しようというのだ。
今回、「内容をあらかたお知らせしておこう」としたのは、「ダイジェスト」的なものなので、読んでくださる方への「便宜」を図る、ということになるのだろうか。
ただ「レジュメに代えて」の順に編んではいかないので、目次的意味はない。ノンブルをふらなかった所以だ。ご了解を乞う。
私人のホームページの、こんなに奥まったところにまで「進入」して、読んでくれる方は極少ないとは思うが、私としては真剣に取り組んでいきたい。
大都会東京・横浜での蹉跌から伊豆に来て、臨時のつもりが、20年の長きにわたってこの山紫水明の地に住み数多くの旅館・ホテルの内外で「どうしたら労使がうまくいくのか」を考え続けた。
その一部は総務という職域の中で実践を試みている。しかし、「旅館業」における労使の壁は厚い。
このことが、本書執筆の動機、といっても良いだろう。
観光不況、旅館業不振、相次ぐ老舗旅館の倒産、新規業種の旅館買取等々の流れの中で、この私論が僅かながらでも参考になってくれれば、幸いである。


はじめに

「旦那さん」がいて「女将さん」がいた。夫婦二人で経理をやり、営業・予約係を務め、板場と交渉をした。
男性の中働きとして「番頭さん」がいた。共用の掃除をし、温泉や浴場を管理し、庭を整え、お客様の送迎もした。
「女中さん」・「仲居さん」「おねえさん」と呼称は違っても、旅館の中働きの中心をなす女性の役割はだいたい一緒だ。
お客様を出迎えて案内をし、夕食の部屋出しをし、食後にそれを下げる。
朝食後は冷蔵庫内を確認し、チェックアウト後は、客室の清掃をして当日のセットをする。
料理を客室まで運び、客室から洗い場へ器を下げるのと布団を上げ下げする役目は、旅館によって担い手が異なっていた。
この時代、ロビーや客室には、心づくしの生花が飾られていた。
規模の大小はあっても、旅館の庭は刈り込みや剪定が行き届き、お客様到着時の玄関には必ずといっていいほど「打ち水」が見られた。
お客様は着いてすぐに、これらの「おもてなしの心」に触れることができた。
女中さんの着物と前掛け、番頭さんの半纏、地方であればきっと聞けた温かみのある方言・・・。お客様は着くやいなや、「非日常性」の中に導かれただろう。
ひるがえって館主と従業員、つまり「労使」は、心でつながり、いい意味でのお節介や奉仕が闊歩していた。
長い拘束時間にも労使双方に「残業」という意識は希薄だった。
それは、長時間労働がいいというわけではないが、旅館が、職場というよりは、家庭に近かったせいだと思われる。
特に従業員の側から見ると、「旅館勤め」には、雨露を凌げる部屋があり、ただ同然の三食が付き、「お仕着せ・制服」という労働着がある。
さらにお客様に尽くせば、チップという名のお小遣いも手に入る。
「お給金」は少なくても、とりあえずは暮らせて、人間としても「豊かな部分」があった。
また、「家族的待遇」「家庭的な職場」といえば、ふつう薄給かつ過酷な長時間労働を糊塗する言葉だが、一昔前の旅館は、文字通り「労使」の間に「家族」の心が存在していた。
近隣の娘さんは、花嫁修業にと旅館に勤め、両親も世間もそれを奨める。
礼儀作法から着付け、生け花、茶の湯、調理まで習わせる旅館も珍しくなかった。
館主が親代わりになって、女中さんを嫁に出す世話まですることも稀ではなかったという。従業員の子を孫のように可愛がり、躾までする館主がいた。
しかし、旅館は次第に時代の波にもまれ、心ならずも変質を迫られていく。
高度成長期あたりから、企業は業績好調の波に乗り、社員旅行なるものを活発化させた。
都市部の高級飲食店・風俗営業店で社用族が跋扈跳梁(ばっこちょうりょう)したのと軌を一にする。
少人数の小間(こま)のお客様を丁寧にもてなし、さらにはリピーターになってもらうというタイプの旅館から、大量処理・一見客(いちげんきゃく)相手の観光ホテルへの転換が進行していく。
収容三百人乃至千人という大型観光ホテルが、それぞれの観光地の中心に座る時代になった。
旦那さんは「社長」に、女将さんは例えば「専務」にと名称が変わる。
個人経営に近かった旅館は、こぞって法人化を進め、いわゆる部課制を敷くようになる。
支配人、営業部長、調理部長、管理部長などが置かれ、下もフロント主任、客室主任、果ては浴場主任にいたるまで細分化され、これに伴って人を採用する場合の基準乃至枠組みが変化した。
例えば、浴場係が二名必要と考えた場合、その二人に法定の公休を与えるとすると、回していくためには、もう一人用意しなければならない。
かくして各部署、各係で同様にして採用定員が決まり、人件費が増大していった。
また、ここから他部署の仕事は「よその仕事」となり、旅館・ホテル全体のサービスの担い手だという意識の欠如を招いていく。
旅館組織の「官僚化」、悪しき「セクショナリズム」の横行である。
膨大な設備投資、漸増する人件費、落ちていくサービスの質、失われていく温かい「もてなしの心」、それでも旅館経営が破綻しなかったのは、好景気、右肩上がりの経済、そしてバブル期の恩恵でしかない。
顧客は「向こう」からやってきた。
旅館はそのサービスの実質で料金を設定するのではなく、地域の、業界の「相場」で自らに値をつけ、それを顧客に押し付けて、予約係がただ選べばよかった。
たまたま営業成績が落ちても、長雨(ながあめ)や、外国の戦争や、地震や、カレンダーの所為(せい)にしていれば済んだ。
換言すれば経営努力や反省が不要な「時代」が続いた。
しかし、それでいいのかと言わんばかりに、「旅館業受難」の時代がやって来る。バブルが消失し、経済の長期的停滞が始まった。
業績が悪化した企業は社員旅行や過剰な接待を止めた。
縦社会は微妙に揺らぎ、家族中心主義・個人主義・利己主義が当たり前の社会になり、レジャーライフは大きく変容を遂げた。
顧客のニーズは多様化の一途をたどり、旅館がそれに対応できなくなった。

賢く経済的に旅をする傾向が強まる中、海外旅行が比較的安価になり、無反省で値段ばかりが高いホテル・旅館は避けられるようになった。
「そんなに費用を掛けるなら、いっそ海外へ」などの「流れ」ができたのだ。

旅館はやむなく、宿泊料金を落とすことでこれに対応した。昨今では一泊二食付きで一万円を超すと「高い」などと言われるほどになった。
受難開始時に比べれば、相場として半値以下になる。
供給(広義の旅館数)が変わらず需要(顧客)が減ったのだから当然といえば当然なのだが、顧客が去っていった原因を料金だけに求めた結果でもある。
旅館業の不況スパイラルはここから始まった。
十人泊めてかつての五人分の売り上げという旅館経営から導き出される生き残り策は何か。
館主の多くは、①設備投資を抑え、修理営繕費を控える②人件費を大幅に削減する③調理・リネン・アメニティなどサービス全体に亘って原価率を引き下げる、という手法を採った。
いや、採らされたというべきか。コスト削減のみによる利益の創出は魅力的で、「痛み」を和らげるとい:う麻薬的効果がある。
しかしそれは、いつしか「コストしか見ない」という症候群を生み、最終的には死(倒産・廃業)に至る恐れを内包している。
この、前向きな営業努力が要らない経営手法には、肝心な「お客様」が見えていないからだ。
さらには、サービスの担い手たる従業員の心と身体の健康を看過しているからだ。
私は、後ろ向きにしか飛べない伝説の鳥、キルリーの名を冠して本稿ではこの手法を、「キルリーマネジメント」と呼ぶことにしたい。

原文はこちらのホームページに載っています。蛙声庵

連載物はブログでは整理できませんのでホームページにまとめています。

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