北杜市・自然の中で
山の中の独り暮らし、片目を失い福祉や医療機関、孤独死寸前までを綴る
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下岡蓮杖
下岡蓮杖碑

先日、下田公園に行った時、下岡蓮杖の碑があった。
写真は以前少し勉強したことがあるがこの人物のことは知らなかった。
看板に書かれたものを転記しました。

下岡蓮杖(1823-1914)
わが国写真師の開祖となった下岡蓮杖は、浦賀船改番所問屋である下田町中原町の桜田家に生まれ、久之助と称した。
少年の頃、狩野薫川の門に入りね狩野派の絵を学んだ。
江戸の薩摩藩屋敷で銀板写真を見て、その精巧さに驚歎したことを転機に写真術の習得を志した。
嘉永六年(1853)三十才の時に蓮杖と号した。
安政三年(1856)ハリスが玉泉寺を領事館にすると、下田奉行所の足軽となり、外国人との接触の機会を得た。
オランダ人通訳ヒュースケンから写真の手ほどきを受け、下田開港場が閉鎖されると横浜に出て、米人ウンシンと知り合い、彼の帰国の際写真機を譲り受けた。
そして、実験を重ね、辛苦の末ようやく湿版写真術を習得した。
横浜野毛ついで弁天町に写真館を開業、画家としての心得を生かして人口着色や画像の演出を行い、写真館は繁昌した。
蓮杖の門下からは優れた写真家が輩出した。
写真の他、牛乳搾取業、京浜間乗合馬車の開設、石版印刷等多方面に活動し、明治日本の近代化に貢献した。
なお、靖国神社遊就館に蓮杖の描いた「函館戦争図」「台湾戦争図」の巨大油絵が残されている。
(胸像製作者 重岡健治)
  
下田市


私が写真を学んだのは、白黒からカラー写真に移行する時期の少し前辺りだと思います。
ミノルタSR1だかSR7だったか忘れました。
望遠レンズ、広角レンズ、接写リングや蛇腹の接写用具などを買い揃え、暗室用具まで買ってフイルムの現像、定着、引き伸ばしの機械まで買い、大分無駄遣いをしてしまいました。
カラーになった頃には写真に飽きてきましたので用具は揃えませんでした。
この頃、絞りがどうの、シャッタースピードなど学びましたが全て忘れてしまいました。
この時の接写リングなどがデジタルカメラに使えるとよいのですが、口径の大きさが違い使えませんでした。
7月に入ったら、少しずつ写真のことを再教育、と言っても老人ボケの現在頭に入るか分かりませんが、挑戦してみたいと思います。

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