北杜市・自然の中で
山の中の独り暮らし、片目を失い福祉や医療機関、孤独死寸前までを綴る
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旅館さん ガンバッテ ! (1)
この文は馬場 駿(ペンネーム)が書きました。許可をとり載せています。
連載物ですが、著者の仕事の関係上不定期の更新になります。また、本文についてのコメントは鬼家にはできません。
一般のコメントは受け付けています。


旅館さん ガンバッテ !

そもそもが本にしようとして企画したものなので、HPでの連載はある意味で「代替措置」になる。
構想の中心、大きな活字の本文に、小ポイントの法的根拠・用語等の解説を付けようとすれば、まだまだ長い時間がかかる。
さりとて、裏付けや具体的な肉付けがなされていなければ、「門外漢のたわごと」に堕してしまうだろう。
そこで一計を案じた。後者は上梓する際に付するとしてとりあえず、本文を連載しようというのだ。
今回、「内容をあらかたお知らせしておこう」としたのは、「ダイジェスト」的なものなので、読んでくださる方への「便宜」を図る、ということになるのだろうか。
ただ「レジュメに代えて」の順に編んではいかないので、目次的意味はない。ノンブルをふらなかった所以だ。ご了解を乞う。
私人のホームページの、こんなに奥まったところにまで「進入」して、読んでくれる方は極少ないとは思うが、私としては真剣に取り組んでいきたい。
大都会東京・横浜での蹉跌から伊豆に来て、臨時のつもりが、20年の長きにわたってこの山紫水明の地に住み数多くの旅館・ホテルの内外で「どうしたら労使がうまくいくのか」を考え続けた。
その一部は総務という職域の中で実践を試みている。しかし、「旅館業」における労使の壁は厚い。
このことが、本書執筆の動機、といっても良いだろう。
観光不況、旅館業不振、相次ぐ老舗旅館の倒産、新規業種の旅館買取等々の流れの中で、この私論が僅かながらでも参考になってくれれば、幸いである。


はじめに

「旦那さん」がいて「女将さん」がいた。夫婦二人で経理をやり、営業・予約係を務め、板場と交渉をした。
男性の中働きとして「番頭さん」がいた。共用の掃除をし、温泉や浴場を管理し、庭を整え、お客様の送迎もした。
「女中さん」・「仲居さん」「おねえさん」と呼称は違っても、旅館の中働きの中心をなす女性の役割はだいたい一緒だ。
お客様を出迎えて案内をし、夕食の部屋出しをし、食後にそれを下げる。
朝食後は冷蔵庫内を確認し、チェックアウト後は、客室の清掃をして当日のセットをする。
料理を客室まで運び、客室から洗い場へ器を下げるのと布団を上げ下げする役目は、旅館によって担い手が異なっていた。
この時代、ロビーや客室には、心づくしの生花が飾られていた。
規模の大小はあっても、旅館の庭は刈り込みや剪定が行き届き、お客様到着時の玄関には必ずといっていいほど「打ち水」が見られた。
お客様は着いてすぐに、これらの「おもてなしの心」に触れることができた。
女中さんの着物と前掛け、番頭さんの半纏、地方であればきっと聞けた温かみのある方言・・・。お客様は着くやいなや、「非日常性」の中に導かれただろう。
ひるがえって館主と従業員、つまり「労使」は、心でつながり、いい意味でのお節介や奉仕が闊歩していた。
長い拘束時間にも労使双方に「残業」という意識は希薄だった。
それは、長時間労働がいいというわけではないが、旅館が、職場というよりは、家庭に近かったせいだと思われる。
特に従業員の側から見ると、「旅館勤め」には、雨露を凌げる部屋があり、ただ同然の三食が付き、「お仕着せ・制服」という労働着がある。
さらにお客様に尽くせば、チップという名のお小遣いも手に入る。
「お給金」は少なくても、とりあえずは暮らせて、人間としても「豊かな部分」があった。
また、「家族的待遇」「家庭的な職場」といえば、ふつう薄給かつ過酷な長時間労働を糊塗する言葉だが、一昔前の旅館は、文字通り「労使」の間に「家族」の心が存在していた。
近隣の娘さんは、花嫁修業にと旅館に勤め、両親も世間もそれを奨める。
礼儀作法から着付け、生け花、茶の湯、調理まで習わせる旅館も珍しくなかった。
館主が親代わりになって、女中さんを嫁に出す世話まですることも稀ではなかったという。従業員の子を孫のように可愛がり、躾までする館主がいた。
しかし、旅館は次第に時代の波にもまれ、心ならずも変質を迫られていく。
高度成長期あたりから、企業は業績好調の波に乗り、社員旅行なるものを活発化させた。
都市部の高級飲食店・風俗営業店で社用族が跋扈跳梁(ばっこちょうりょう)したのと軌を一にする。
少人数の小間(こま)のお客様を丁寧にもてなし、さらにはリピーターになってもらうというタイプの旅館から、大量処理・一見客(いちげんきゃく)相手の観光ホテルへの転換が進行していく。
収容三百人乃至千人という大型観光ホテルが、それぞれの観光地の中心に座る時代になった。
旦那さんは「社長」に、女将さんは例えば「専務」にと名称が変わる。
個人経営に近かった旅館は、こぞって法人化を進め、いわゆる部課制を敷くようになる。
支配人、営業部長、調理部長、管理部長などが置かれ、下もフロント主任、客室主任、果ては浴場主任にいたるまで細分化され、これに伴って人を採用する場合の基準乃至枠組みが変化した。
例えば、浴場係が二名必要と考えた場合、その二人に法定の公休を与えるとすると、回していくためには、もう一人用意しなければならない。
かくして各部署、各係で同様にして採用定員が決まり、人件費が増大していった。
また、ここから他部署の仕事は「よその仕事」となり、旅館・ホテル全体のサービスの担い手だという意識の欠如を招いていく。
旅館組織の「官僚化」、悪しき「セクショナリズム」の横行である。
膨大な設備投資、漸増する人件費、落ちていくサービスの質、失われていく温かい「もてなしの心」、それでも旅館経営が破綻しなかったのは、好景気、右肩上がりの経済、そしてバブル期の恩恵でしかない。
顧客は「向こう」からやってきた。
旅館はそのサービスの実質で料金を設定するのではなく、地域の、業界の「相場」で自らに値をつけ、それを顧客に押し付けて、予約係がただ選べばよかった。
たまたま営業成績が落ちても、長雨(ながあめ)や、外国の戦争や、地震や、カレンダーの所為(せい)にしていれば済んだ。
換言すれば経営努力や反省が不要な「時代」が続いた。
しかし、それでいいのかと言わんばかりに、「旅館業受難」の時代がやって来る。バブルが消失し、経済の長期的停滞が始まった。
業績が悪化した企業は社員旅行や過剰な接待を止めた。
縦社会は微妙に揺らぎ、家族中心主義・個人主義・利己主義が当たり前の社会になり、レジャーライフは大きく変容を遂げた。
顧客のニーズは多様化の一途をたどり、旅館がそれに対応できなくなった。

賢く経済的に旅をする傾向が強まる中、海外旅行が比較的安価になり、無反省で値段ばかりが高いホテル・旅館は避けられるようになった。
「そんなに費用を掛けるなら、いっそ海外へ」などの「流れ」ができたのだ。

旅館はやむなく、宿泊料金を落とすことでこれに対応した。昨今では一泊二食付きで一万円を超すと「高い」などと言われるほどになった。
受難開始時に比べれば、相場として半値以下になる。
供給(広義の旅館数)が変わらず需要(顧客)が減ったのだから当然といえば当然なのだが、顧客が去っていった原因を料金だけに求めた結果でもある。
旅館業の不況スパイラルはここから始まった。
十人泊めてかつての五人分の売り上げという旅館経営から導き出される生き残り策は何か。
館主の多くは、①設備投資を抑え、修理営繕費を控える②人件費を大幅に削減する③調理・リネン・アメニティなどサービス全体に亘って原価率を引き下げる、という手法を採った。
いや、採らされたというべきか。コスト削減のみによる利益の創出は魅力的で、「痛み」を和らげるとい:う麻薬的効果がある。
しかしそれは、いつしか「コストしか見ない」という症候群を生み、最終的には死(倒産・廃業)に至る恐れを内包している。
この、前向きな営業努力が要らない経営手法には、肝心な「お客様」が見えていないからだ。
さらには、サービスの担い手たる従業員の心と身体の健康を看過しているからだ。
私は、後ろ向きにしか飛べない伝説の鳥、キルリーの名を冠して本稿ではこの手法を、「キルリーマネジメント」と呼ぶことにしたい。

原文はこちらのホームページに載っています。蛙声庵

連載物はブログでは整理できませんのでホームページにまとめています。

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