北杜市・自然の中で
山の中の独り暮らし、片目を失い福祉や医療機関、孤独死寸前までを綴る
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年賀状を中止します
右目は失明。左目も僅かの視野と視力しか残っていません。僅かな左目のを守るた めに年内に緑内障の手術をします。毎年元日に書いていた年賀状、郵便局まで往復2時間半、近い真原 のポストは裏の隣地の藪をかき分け、急な坂を登ります。今は藪をかき分ける元気もありません。以 上のような事態なので年賀状は中止することにしました。
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眼科医・村田博昭医師 対 患者・木内正夫
***出会い***
長年、緑内障で目薬を差してきたが2014年6月になって、瞼が腫れ上がってきたので、6月14日に塩川 病院に行った。残念な事にこの日、主治医のE医師は休診で代理の村田博昭医師に診てもらったのが、 この医師との出会いであった。この、村田博昭医師と約1年後に私の主治医となり、診療の丸投げをく らって、苦しめられるとは、この時点では想像もできませんでした。

***病院を移した理由***
緑内障と診断されて長年治療を受けましたが段々と視野が狭くなり視力も落ちましたので、2011年に 自動車をこれ以上運転すると他人を死に追いやったり、傷を負わせたりする恐れがあるので、自動車 の運転を止めました。我が家から往復30kmある塩川病院まで自転車で通院するようになり、途中、長 い日野春トンネルもありましたが当時はまだ体力もあり、それほど苦痛は感じませんでした。
次第に緑内障の病状も進み、E医師からも手術を勧められましたが、通院に往復7-8時間かかる大きな 病院まで通えないと断り続けてきました。
2015年に入ると、体力も視力もさらに落ち込み日野春トンネル内は工事用の蛍光服を着て自転車を押 して通るようになってしまいました。行政からの支援もなくこの先どうしょうか迷っていました。
E医師から、白州町の北杜市立白州診療所がある、火曜日の午前中だけの診療だが転院するなら手続き をしてあげよう。と言われ、自転車に乗る距離も半分になり、トンネルも通らなくてすむ診療所に転 院することをお願いした。

***北杜市立白州診療所***
買物に行っているスーパーの国道を挟んだ前にあり、買い物と通院が出来て良い場所である。2015年7 月14日・診療所に入ると床が綺麗で土足で入ってよいのか迷うくらいであった。"おしぼり"まで出て 、この時点ではよい印象を受けた。

***初診***
2-3人の患者の後に看護師に呼ばれ、風による眼圧の検査や、壁にかかるどこにでもある視力検査を してから、医師に呼ばれた。村田博昭医師とは私は一度会っているが、彼は気づいていなかった。E医 師から聞いていたのか一声が「何故、大学病院で手術を受けないのか」私はE医師に答えたように「バ ス停まで歩いて1時間、帰りは1時間半もかかり、バスや電車も本数が少なく、往復で7-8時間かかる 所に通院できません」と言った。「何故、不便な所に住んでいるのか」などいろいろプライベートな ことまで聞かれたが、私のためを思って聞いているのだと、この日は悪い印象はありませんでした。 処方箋を書いてもらい、近くにある薬局に4種類の薬が処方された。 ***副作用***
家に帰って薬をチェックすると、4種類のうちの2種類が塩川病院で長年処方され副作用が出て、使用 中止になった薬であった。でも、使用中止になって半年は過ぎているので、大丈夫かもしれないと思 い点眼したら、瞼が腫れ上がってしまった。火曜日だけの診療なので次の火曜日、7月21日に行く。 副作用で塩川病院で中止となった薬なので、E医師が処方した薬にしてほしいと頼んだ。「E医師の処 方した薬は弱いので1種類の薬だけ止めよう」とその後はこの3種類の薬の処方が続いた。私は副作用 の出る薬は点眼をためらって、E医師の処方した点眼剤の在庫があったので、こちらの方の薬を点眼し ていた。

***医師の信頼は何処へ***
初診から約1か月が過ぎた8月18日。今日も大学病院で手術をするように言われたが、前記のような理 由で断ると村田博昭医師は「大学病院で手術を受けないなら、今後眼が悪くなったとは言うな」と怒 った口調で言った。私も「眼が悪くなったとは言いません」と言い、その後、村田博昭医師に視力が 悪くなったとは言わなかった。
この村田博昭医師の発言、医師として適切な発言なのだろうか。医師が患者に病状を報告するなと言 う、この主治医になってからまだ1か月しか過ぎていないのだ。何か裏があるのだろうかと私なりに考 えてみた。塩川病院でE医師は患者数も多く信頼された人であり、村田医師は週に半日だけの診察をま かされている。そのE医師から、この患者を頼むと託されたら、村田医師はどう思っただろうか。"こ んな重症の患者を押し付けて"と腹の中で怒っていたなら、などと想像してしまう。"坊主憎けりゃ袈 裟まで憎い"
この日から村田博昭医師への信頼はなくなった。そして私の周囲にも急激な変化が起き、これ以上の 事が起ころうとは思ってもみなかった。。*** 続く ***

***8月16日のブログの隠し文章***
ホームページやブログはHTML言語で書かれています。あるタグ列で文章をくくるとその文章は表示さ れません。8月16日のブログもこの隠し文章で書き、内容は次のようなものでした。

"緑内障にかかり、特に右眼の周りが腫れ上がり急激に右目は失明状態になりました。今まで良かった 左眼が同じような状態となり、急に視力の低下が起きて、本も読めなくなり、パソコンをいじるのも 苦痛になりました。後2-3年は失明はないと思っていましたが、急に失明の危機が迫っています。
失明の覚悟は出来、旅立つ支度もしております。身辺の整理や三途の川を渡る船賃なども用意しまし た。いつ旅立つかわかりませんが、出来るだけ頑張るつもりでいます。 でも、いずれ「もはや、これまで」と観念したときには潔く旅立ちます。"

ソースを開かないと読めませんが、ブログ仲間が読んでしまい弟に連絡。また、福祉課にも相談した ようです。
弟と姪が来ました。何事かと調べたら上記の事のようです。16日の記事を見てすぐにでも自殺をする と思ったのでしょう。
私のホームページ「里山に住んで」に①失明したとき。②病気で一人で生活できなくなった時は自ら 命を絶ちます。と書いてありますが、右目は失明状態ですが左眼はまだ何とか見えますので上記の条 件になっていません。が、左眼も急激に視力は衰えています。
手術をすれば多少は失明を遅らせる事が出来るので、弟たちの説得やブログ仲間が心配してくれてい るので、今回に限り手術を受ける事にしました。

***私・弟・福祉の人が村田医師に会う***
10月20日・私と弟が診療所に行くと、福祉の人も来てくれていた。 3人で診療室に入る。少し話した後、医師がいきなり「不便な所に住んでいないで病院の傍に引っ越せ ばいいだろう」と言う。私も怒って言い返すなどの一騒動もありましたが、手術を受けることを伝え た。
すぐ大学と連絡をとり、10月26日に大学病院に行くことになりました。そして、福祉の人が障害者の 査定の書類を出すと医師はこのように言った。
「今日は書けない、手術をして大学病院からデータが届いてから査定する。」と。もっともな意見で あり3名とも納得した。 そしてすぐに書いてくれた紹介状は"丸投げ"の紹介状だったとは。心の中では査定などしないと決め ていたようだ。

***山梨大学医学部付属病院に***
弟の自動車で病院に行く。福祉の人も来てくれていた。ごった返すほどの初診の患者、1時間以上待っ てやっとカードなどが出来て眼科の窓口に。ここでも1時間以上またされ、医師の問診や各種の検査が 行われ、やっと紹介状に書かれていたKA医師の所に呼ばれ3名で入って説明を聞いた。
いろいろ説明を聞いたが手術の話はなかった。
正夫・「手術はどうなりますか。」と訊ねると
医師・「村田医師からは手術の要請はありません。手術を希望しますか。」
正夫・「はい、手術を受けるために来たのですから。」と答えると。
医師・「それでは手術しましょう。」と言うことになり別の医師の所に回された。
レントゲンと心電図と血液検査が追加された。そして、まだ検査をしていない視野検査や今日の結果 をみて11月11日に正式に手術の日が決定されるが、予定としては25日入院26日が手術をすると言われ た。そして、病院内6時間の検査を終えて、クタクタになり家に戻った。が、弟はさらに5時間かけ伊 豆半島の伊東に戻っていった。
この医師との会話で丸投げに気づくべきだった。そして、眼が腫れ上がる事が起ころうとは。***続く ***

***眼が腫れ上がり村田医師に救助を求めたが***一部12月20日の文と重複します
10月26日山梨大学病院に行く2日前に、塩川病院の医師の処方してくれた在庫の薬が切れてしまった。眼圧を下げるため、村田医師の処方した点眼液をつけた。 10月26日には一寸腫れ気味だったが、何事もなく検査を受けられた。
そして28日から腫れが目立つようになり、29日には今までにない腫れとなり、自撮りした。下の写真を引き伸ばすと瞼は魚の鱗状になり液が出て、このままでは11月11日に行った時手術は延期になってしまう。次の火曜日は診療所は休みである。


診療所に電話して医師の務める所に連絡して腫れを治める薬を送って欲しいと助けを求めた。送ってくれる確率は低そうなので、点眼をすべて中止した。いくら待っていても医師からの薬は届かなかったが、点眼を中止したので徐々に良くなり11月10日までには腫れは治った。ただ、眼圧はだいぶ上がったような気がした。

***患者の承諾をとらずに大学病院に丸投げ***
11月10日、大学病院に行く前日、A4に引き伸ばした写真を持って白州診療所に行った。受付で医師に薬の事を頼んでくれたのか訊ねると。「きちんと伝えました」と言う返事。写真を受付に出しこのようになったので、現在点眼は止めていると医者に伝えてくださいと。
11月3日が休診だったので混んでいて2時間待ってやっと呼ばれた。
村田博昭医師は「あなたはもう私の患者ではない、薬が欲しかったら大学病院で処方してもらってくれ」と。何も聞かされないまま通院時間7-8時間の病院に飛ばされ、主治医だと思っていたのに腹が立つ。
待合室で清算を待っていると村田医師が来て「これはもう必要ないから」と今朝受付に出した写真を差し出した。勝ち誇ったような顔をし、診察室に向かっていった。この後ろ姿を見たのが最後であった。もう、村田博昭医師とは会うこともないであろう。***終わり***

***追加記入***
学校、職場、その他で自分より弱い立場の人に対しての虐めが社会問題になっています。地方の医師の中には患者を虐める愚かな医者もいるものです。「天に向かって唾を吐くようなものだ」と思いませんか。
また福祉課の人も行ったのて、私が生活保護でも申請するため等と思われ、こんな患者飛ばしても泣き寝入りするだけだと軽んじられたのでしょう。
山の中とは言え、数千平方メートル敷地に自分で建てたとは言え、一人で住むには広いくらいの家、年金は殆どないが、取り崩す流動資産のあるものが生活保護など申請しませんよ。
田舎は横のつながりが強く、代議士、市会議員、土地の有力者などのバックがないと、福祉が受けられないのが現状です。それなら失明を機会に障害者の等級を査定してもらった方が将来福祉が受けられるのではと、ブログ仲間が段取りしてくれましたが、結局村田医師が丸投げしてしまったので、査定の方も中止となり、現在は私のために動いている福祉関係の人はいなくなりました。

最後に一言 "眼には眼を"

秋の庭 (2)
寒くなり庭の木々も色づきましたが、コナラやクヌギの色づきはまだです






10月26日・写真は弟の庭の草刈・KITAHOさんや弟の協力で敷地の草刈が終わりました。



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