北杜市・自然の中で
山の中の独り暮らし、片目を失い福祉や医療機関、孤独死寸前までを綴る
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入退院とその後
11月8日のブログの本文まだ書いていません。医師との争いは後日実名で書かせても らいます。
HA診療所の眼科は火曜日の午前中だけ、11月3日の火曜日は休日である。10月31日診療所に電話してMU医師に連 絡をとって腫れを治める薬を送ってくれるように頼んだ。と同時に点眼をすべて中止をした。点眼を 中止すれば手術前に視力が落ちるかもしれないが、それしか方法はないと判断した。 山梨大学に行く前日の、11月10日 HA診療所に行き、電話した事を医師に伝えてくれたのか聞くと、伝 えましたとの返事だった。患者の眼が医師の処方した薬で腫れ上がり、それを高みの見物していたと は腹が立つ。3日が休日なので2時間以上待たされ呼ばれた。 あなたは、もう私の患者ではない薬が必要なら大学に処方してもらえと言う。患者の了解も得ず勝手 に治療の丸投げをしたことを聞かされた。このMU医師との事は11月8日のブログに書くことにする。

11月11日、独自の判断だったが、点眼を止めて腫れも引いて、他の検査も無事に通過して25日入院が 決定しホッとする。もしあのままの眼で来たなら手術は出来ないと言われていたかもしれない。
11月25日に入院、この日は手続きだけで終わり、26日に左目の手術をした。手術後1時間半程度で周囲 が見えるようになり、心配していたトイレの問題もなくなった。 三食昼寝付きの入院生活にもなれて、山の生活の厳しさをあらためてしる。
12月3日、右目は残念ながら失明と診断されましたが、眼圧が高く悪影響があると言うことで、手術を 受けました。
12月9日、退院するが15日に外来で来てくださいと言われる。 12月14日、15日に大学病院に行くので、15日に予約をしてあったHA診療所に1日早く行き、今回が最後 で別の病院に行くことを告げ了解をとる。(合併する前は町立HA診療所の名残もあり、送迎バスは白州 の人しか乗せないようです)
12月15日、予約より1時間遅れで呼ばれる。手術後の検査の結果は順調の様です。今後、通院をどうするか聞かれました。大学の病院までは自動車で1時間足らずですが、バスや電車を乗り継いでいくと、往復7-8時間かかって、冬期は通院遭難も考えられます。丸投げ医師のいる所に戻る訳にもいかず、前の塩川病院に行くわけにもいかず、多少大学病院より近くなるので韮崎市民病院に転院することにし紹介状を書いてもらいました。
弟の自動車の送迎は手術期間内と決めていましたので後は己の脚や忍耐力で通院するつもりでした。
12月16日、心臓や肺の悪いため散歩などしていませんが、今日からしなければと約1時間半ほど散歩より老人の徘徊のような形で歩いてきました。この日は何も起こりませんでした。
12月17日、昨日と同じコースをデータをとりながら歩き戻ってきました。昨日と違うのは気温が5度と寒く、風が少しあったくらいでした。夕方になると咳と痰と濃い鼻水でて止まらなくなってしまいました。一晩中苦しめられ18日はパソコン室にも上がらず食事もとらず、寝て過ごしました。
12月19日多少良くなったかにみえましたが、夕方になると17日の症状と同じです。 咳をすると上半身の筋肉が揺さぶられ、始めに腹筋が次は右腹の筋肉痛が起こっています。 回復まで後数日かかるかもしれません。

元々、心臓と肺が悪いためか、14かと15日病院に行き、ウイルス性の病原菌を吸ったのか、散歩などをしたためか、これらの複合的作用なのか原因はわかりませんか、この冬を乗り越えるのは相当な覚悟が必要となりそうです。

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