北杜市・自然の中で
山の中の独り暮らし、片目を失い福祉や医療機関、孤独死寸前までを綴る
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北杜市の福祉関係との係わりあい (1)


行政に抗議するため独学でHTML言語を学びホームページやブログを始めまし た。

福祉に関する暗いニュースを沢山見てきました。ある姉妹が餓死した事件とか、介護と生活に困 り果てた息子が母と心中をはかり息子は死にきれず殺人の罪で逮捕された事件とか数えれば沢山あり ます。

そしてマスコミのマイクの前で役人の言うことは「一言相談してくれたなら助けてあげられたも のを。・・・・・・・・・」と言う。本当は助けを求められたのに助けなかったのではないのか。自 死をする人は経過を残すべきだと思っている。私が自死したときも北杜市の役人は同じことを言うと 思う。

当時の武川村の福祉課と介護保険料での争いがあったのでホームページを始めました。行政と貧 しい老人との争い、勝てる訳もなく力にものを言わせ僅かな年金からの天引きが今も続いています。
介護保険はあるものにとっては重要な保険かもしれませんが、私のような独り暮らしの老人は使えな いのが現状です。
一人で生活できなくなったら、市が責任をもって福祉施設入れてくれると言うなら話は別ですが、介 護を受ける状態まで生きていけないのです。北杜市はそれほど福祉の充実した市ではなく、たとえ施 設があったとしても政治家や土地の有力者や役人の親戚や知人の口利きを優先するでしょう。都会か ら移住してきた私には施設に入れる保証はありません。
約10年の間に職員6名に失明したとき、他の病気で一人で生活できなくなったときは、自ら命を絶 ちますと告げましたが、反応はなく老人の戯言くらいの受け止めて握りつぶしてしまいました。
誰も「そのような場合に陥ったとき、ここの窓口に相談してください」とアドバイスする職員は独り もいませんでした。


介護保険・武川村の時

介護保険が2000年から始まり、独り暮らしの老人でも安心して老後を過ごせると思いましたが、 制度を見てみると独り暮らしの老人には役に立つ制度ではない事がわかりました。2004年に介護保険 証が届きまして、始めの4320円は納めましたが、すぐに当時の5段階の中の2段階から4段階に引き上 げられました。

当時収入もなく、納めれば食事すらとれない状態でしたので、抗議文と、介護を受けなければな らない状態に陥った時には自ら命を絶ちますと介護保険証を2004年8月16日に簡易書留で送り返しま した。

郵便を出し1ケ月半が過ぎて忘れた頃に、当時の担当の清水さんから電話で話し合いたいとの申 し出がありました。9月24日に今の武川支所の建物で1時間ほど話し合いましたが物別れに終わりまし た。したがって武川の時は最初の1-2回支払っただけでした。

その後、町村合併があり、北杜市となり何度も督促状が届きましたが支払いませんでした。2005 年1月25日徴収係かわかりませんが皆川さんから電話があり、武川の時清水さんとの話し合いの事も 説明しましたが、歳をとったら必ず役に立つのだからと説得され、歯の治療を止めて武川時代の未納 のものと北杜市になってからの保険料を支払う事にしました。その後は保険料は年金から容赦なく天 引きされるようになりました。


市の職員が訪ねてきた

2011年3月30日、突然市の職員の男女が訪ねてきた。一瞬、高齢者になって一度も福祉関係の人 は訪ねてこなかったので、孤立した老人の生活の様子を見に来たのかなと思ったのですが、介護保険 の集金に来たと言う。

後期高齢者医療制度が出来て、低額の年金から天引きするのに批判か出て厚労省から通達でも出 たためなか、年金から天引きしなくなり溜まってしまったので支払ってくれと言う。老人福祉に熱心 な都市なら独り暮らしの老人でも納めても役に立つかもしれないが、福祉に不熱心な北杜市が何をし てくれると言うのだろうか。この二人にも生活が苦しいので支払えない、介護を受けるような立場に なったら自死しますと伝えた。

この話の中で、生活に困って1日2食しか食べていないと言ったら、女の職員が私も2食しか食べて いませんと言う。2食しか食べられないものと、高給とり美容のための2食とでは違うだろう。心の中 で「馬鹿な女」と叫んだ。

そして、介護保険証を北杜市に送り返すと、すぐに歳をとったら役に立つのだからと送り返され て、再び僅かな年金から天引きする手続きがとられた。仕方なく今回も未納部分を支払う事になった 。 一番知りたいのは、独り暮らしの老人にどのように役に立つのか説明してほしい。介護保険を年金か ら天引きし何もしなく自死に追い込んだら、国家的詐欺、行政的詐欺と呼ばれてしまうだろうに。


2013年6月18日・包括支援センターの2名が来る

ブログを読んでくれている千葉県のumi925さんが、眼が悪く心臓も悪い老人が往復30kmもある病 院に通っている。何とかしてあげられないのかと北杜市に電話をしてくれて、包括支援センターの保 坂さんと皆川さんが訪ねてくる。この時も失明したとき、病気で一人で生活が出来なくなったら自死 しますと伝えた。

北杜市にはこのようなサービスがありますとチラシを置いて帰って行ったが、全て実費らしく年 金が少ない私には利用できない。その後、ブログ仲間の後藤さんが保坂さんに電話をすると、「寝た きりの老人を何人も担当しているので、自転車に乗れて病院に通院する人は面倒はみれない」と言う 。

保坂、皆川両氏は福祉を学んだ上で職務に当たっているのだろうか。眼が悪く心臓も悪い者が自 転車に乗る事がどのような危険な事か、わかっていないようだ。眼の見えない事を風邪でも引いた程 度に考えているのだろうか。

福祉に熱心な職員なら「自転車に乗るのは危険だからすぐに止めなさい。北杜市立病院なので相 談して送迎バスを武川まで走らせてもらうようにするから」と。結果が駄目でも有り難いと思うのだ が、やはり北杜市は何もしてくれないと言う確信だけが心に残る。

保坂さん皆川さんが8月6日に来てくれたが、玄関が閉まっているので不在だと思って、メモを残 して帰ってしまった。私は具合が悪く寝ていたのに。福祉関係の人が高齢者の家を訪ねて玄関が閉ま っていたら、不在だと思う前に、家の中で倒れていないだろうか、裏口から外に出て倒れていないだ ろうかと、家の周りを一回りするのが福祉関係の職員の常識だと思う。我が家は風呂場までも透明な ガラスなのだ。ベットのある場所の窓も透明なガラスなので寝ている事がわかったはずでなのですが 、夕方メモを見てこの二人は福祉関係の資格があるのか腹が立ち、保坂さんに電話して、もう訪ねて こなくても結構ですとこちらから断りました。


2015年9月10日・福祉課の2名とKITAHOさんが来る

KITAHOさんが市に連絡してくれて、斎藤さんと白倉さんと言う人が来る。今は生活には困ってい ないが、眼が不自由なのだから障害者の認定を受ければ、将来役に立つと言う事と、現在の状況でも 何かできないのかと言うことで来てもらった。とりあえず10月20日に白州診療所の村田眼科医に認定 を受けることで弟と斎藤さんと3名で行った。そこで山梨大学で手術を受ける話し合いが出来、認定 は手術の後、様子を見て決めると医師が言った。納得したのだが数分もしないうちに、この医師によ り私の承諾なく遠くの病院に飛ばされてしまったために認定は宙に浮いてしまった。つまりこの医師 は私だけでなく福祉課の人までだました事になった。
飛ばされたと知ったのはだいぶ後の事で、斎藤さんや弟と山梨大学医学部付属病院に出かけ、6時間 かけて検査を受けた。この6時間も付き合ってくれた斎藤さんなら信頼できる人とこの時は思った。 その後、眼科が変わったりして福祉関係の人とは縁が切れたかにみえた。

2016年1月17日に斎藤さんが来てくれたが、話は進展しそうになかった。この人にも失明したら 自死を実行する事を告げた。私としては認定はどうでもよくなってしまった。急激の目の悪さ自死が 近いのに認定してもらって何になるのだ。少しばかり支援を受けて北杜市は福祉に熱心だと思われて も迷惑だ。僅かな期間の支援なら受けない方が良いだろうと言う考えが強くなった。
この日も「元気だ、元気だ」と何回も言われた。一般の人に「元気だ」と言われるのは一種の褒め言 葉かもしれないが、福祉課の人から言われると「あなたは元気なので助けてあげません」と同意語な のです。


2016年5月23日・大学病院に行く

急激に眼が悪くなり韮崎市立病院の医師が手術した山梨大学付属病院で診てもらうように言われ 行き検査したが、それほど手術後と変わらず悪くなっていないので、韮崎に通院するように言われる 。検査結果は韮崎に電送しておくと言われた。韮崎の病院に行くと検査結果は届いてなく文章の連絡 しかないと言う。この1年病院を盥回しにされているようだ。

年内失明もありうる状態になり、自死して検視の時室内が散らかっていてはと思い、不自由な眼 でリフォームを始めた。多分12月頃に自死する覚悟だけはしておこう。介護保険に対する抗議も含ま れているので日本男子らしく切腹もと考えたが内臓の出た死体処理は素人では処理できないので、首 の動脈を切断する事にした。よく手首を切る人がいるが自殺の芝居なのだろう。私の場合失敗は許さ れない。ビデオを撮っておくのでUチューブに投稿してほしい。


2016年11月2日・福祉関係の人が3名来た

2日前に電話連絡があり、福祉課関係の人が訪ねてくれた。昨年の秋に心臓も悪く、眼も悪いので冬の間だけでも、どこかの施設に入れないだろうかとお願いしたが、何の返事すらなかった。
話は、眼の検査をして悪い事が証明されれば、施設に入れるように努力するというものだったが、眼もだいぶ悪くなり、自死の決意を固め身辺整理もほとんど終わった。今になっては遅すぎる。昨年にどのような状態になったら施設に入れてあげますと目標だけ示してくれれば選択の余地が残されていたのに。私の自死に対する決意を伝えておいた。北杜市に対して何度メールなどで助けを求めたのに全て黙殺されてしまった過去。もう、期待するのは止めよう。
眼の方も来年春頃まで何とかもつかもしれない。雪のある間は頑張らないと死体処理で親族に迷惑がかかる。春まではつらい事が沢山待っているが頑張りたい。終わり。
2017年は生きていれば新たに書くつもり。
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